コラム003「インスタントラーメンを食いに出かけた」
我が家ではあまりインスタントラーメンというものを食べない。うちの奥さんは、インスタントラーメンというものをいわゆるジャンクフードだと思っているらしく、買い置きさえしていない。実は、食事として評価していない点は私も同じで、朝昼晩三食のどこかでインスタントラーメンが出ようものなら、すかさず、
「こんな物を食わせるのかよぉ」
とクレームをつけるにちがいない。おそらくそれがわかっているのだろう。うちの奥さんは体調の悪いときにさえ、彼女のプライドをかけて、インスタントラーメンを供しようという気配さえ見せない。
誤解のないように断っておけば、私は別に、インスタントラーメンを忌み嫌っているとか、一切拒絶しているとか、そういうことではない。一日三度の食事のどこかに出されるのは勘弁してほしいが、間食としてなら別にかまわない。いやむしろ好物だと思う。
私のイメージにあるインスタントラーメンは、なにを差し置いてもまず夜食である。家族が寝静まった頃に台所へ忍び込み、インスタントラーメンを作る。そしてあたりをうかがいながら鍋のまま食す。健康診断で肥満を注意される身として、これはけして誉められたことではない、と思いつつも、かえってこの後ろめたさが背中を押すような、旨味を増すような役目を果たしている気がするから不思議だ。買い置きがないのをいいことに踏みとどまってはいるが、この歳になっても、年に一度か二度無性に食べたくなり、わざわざコンビニまで買いにいくことがある。
我が家の子供たちにとっても、インスタントラーメンはちょっと特別なメニューであるらしい。先日キャンプに行ったときも、手抜きしてカップラーメンを食べようかというと、小躍りして喜んだ。考えてみれば、テレビで日々流されるコマーシャルを見ているから、いくら家で食べないといっても、その存在を知らないはずはない。いや知らないどころか、コマーシャルに乗せられて興味津々なのかもしれない。例えばこれが週一くらいのペースで食べてでもいれば「ああ、あれか…」程度に受け流すのだろうが、なまじ滅多に口にしないだけに興味を膨らませてしまうのだろう。さんざん買ってほしいとねだられたオモチャを買い与えてみると、三日もしないで飽きてしまうといった程度の好奇心にちがいないが、ここはひとつ子供を利用してみようという気になった。
インスタントラーメンを昼間に、正々堂々と、しかも美味く食べるにはどうすればいいのか。これは、ここしばらく私が考えてきたテーマのひとつだったのだ。口には出さぬともふだんから「インスタントラーメンを正式な食事とは認めない」という素振りを示している私としては、休日の昼に、今日はみんな揃ってインスタントラーメンを食べよう、などと提案することはできない。これこそ、夫として、父親としての沽券にかかわるというものだ。
いや、そういうくだらないプライドを抜きにしても、「スローフードで行こう」を目標にしている我が家としては、家族揃ってインスタントラーメンというのは、やはりいかにも寂しい気分になりそうな気がする。できれば、家庭が寂しい気分になるのは避けたい。
インスタントラーメンに、地味だとか寂しいというイメージを持つのは、私のこだわりにもよるのだと思う。私にいわせれば、インスタントラーメンにチャーシューやメンマ、ナルト、玉子などという、いわゆるトッピング類を乗せるなんてことは邪道なのである。インスタントラーメンは「ラーメン」ではなく、「インスタントラーメン」という別種の食い物なのだ。どんなに着飾ろうとも、中身が変わるわけじゃない。
いやもしかすると私は、もっと積極的に、インスタントラーメンに貧乏臭さを求めているのかもしれない。食べているときに、ふと感じられる侘しさがほしい。食べ終わった後に、どこからか胸に忍び込んでくる微かな寂しさがいい。ひょっとすると、これが「侘び」「寂び」というものか…。
それに気づいたとき「ああ、山へ行きたいな」と私は思った。山の飯には侘び寂びがあるじゃないか。最小限に切り詰めた食材と装備の潔さ。それをゆっくりと味わう喜び。これだけで十分に事足りるのだというちんまりとした充足感。贅沢を追い求めていっても幸福には辿り着かないという悟り。
「山へ行こう」
といえば、運動大好きの次男は二つ返事でついてくるだろうが、私に似て肥満気味の長男は同行を渋るかもしれない。しかしそこで、
「山に行ったらインスタントラーメンを食うぞ」
といえば、食べることに最大の興味がある長男もついてくるだろう。いい運動になる。腹も減るはずだ。空腹は最高の調味料である。それに汗をかいて水分補給をすれば体内の塩分が不足する。これ以上にショッパイものを美味いと感じるコンディションはない。それを晩秋の山の清冽な空気といっしょに食する。現在私が考えるに、昼間に正々堂々とインスタントラーメンを、それもできるだけ旨く味わうのにこれ以上のシチュエーションがあるとは思えなかった。
11月の某日の朝、山へ向かった。目指したのは東京近郊の定番ハイキング・コース高尾山〜陣馬山縦走路。人気のあるコースだけに人が多いのが欠点だが、子供連れでエスケープ・ルートのことなど考えると、ほかに選択肢はなかった。うちの奥さんは運動が苦手であり、あいかわらずインスタントラーメンにも興味は薄く「遠慮する」ということだったが、陣馬山から下った和田峠まで「クルマで迎えに行ってあげる」という。サポート役を買って出てくれ、子連れハイキングをするこちらとしては精神的にずいぶん楽になった。クタクタになったグズグズいう子供を連れ、バスと電車を乗り継いで家まで帰ってくるのは、相当に難儀だと思っていたからである。


(左)ナラの黄葉もいいです。(右)陣馬山頂で。左下に横浜が見えた。
折りしもあたりは紅葉の盛りだった。年端の行かぬガキ二人と風采の上がらぬ中年親父の三人組というのは、行き交うハイカーの中にも見かけない。たいていは子供と両親がそろっている。なんだかまるで自分たちが、病弱な妻に先立たれた父子のような気がしてくる。秋晴れの空の下、緩やかにうねる尾根を歩きながら、思わず渥美清の「チンガラホケキョーの歌」を口笛で吹いてみる。実は私は、こういう寂しがりごっこも大好きだ。もちろん、ほんとうにそうなったときの苦労などまったく省みてはいない。

忍野からの富士を見慣れた目にはこじんまりと映った。
高みに雲が見られるだけのすばらしい晴天で、晩秋にしては暖かい日和だった。標高は低いといっても山の上である。休憩時に汗が冷えるといやだなと思ったが、休むたびにいちいち上着を羽織る必要もなかった。そのかわりによく汗が出た。長い登りにあえいだときなど、ずいぶん汗をかいた。なにしろ私は、日帰りの割にはけっこう背負い込んでいたのである。
コンビニのおにぎりで済まそうと思えば済むところを、インスタントラーメンを作るために、水とストーブを背負わなければならなかった。水は料理用に余裕を見て2リットル、3人分の飲料としてほかに飲み物を3リットル。ストーブは適当なのがなかったので、コールマンのスポーツスターを持参したが、せめてピークワンか、できればもっと軽いガスボンベ式を手に入れておけばよかった。しかし、子供の前でそんな泣き言をいうのはカッコ悪い。「このくらい重いの背負わなきゃ、山に行った気がしねぇよ」くらいの素振りで、ぐいぐい歩いた。実は私は、こんなふうに大袈裟に振る舞うのも大好きだったことを思い出した。若いころ、おまえは南極の越冬隊長かよ、とでも突っ込まれそうな格好で冬の街を歩いていたことを思い出した。
さんざん歩いて見せびらかす根性も残り少なくなったころ、日当たりのいい、ということは見晴らしもいい場所にザックを降ろし、いよいよ昼飯を作ることにした。
ほかのハイカーを観察するに、ほとんどがベンチに腰を下ろして持参した弁当を食べたり、山頂や峠の売店で買ったものを口にしている。だから山道の脇にストーブを据えて大きなコッフェルを乗せ、湯を沸かそうとしている様子は目立つ。ましてやその脇で、
「早く沸け! 腹減った!」
と二人の子どもが囃しながら体を揺すっていたりすると異様に目立つ。しかしこういうとき、私はいつも他人の迷惑にならない限り放っておく。すると、休日の人気ハイキングコースのけっこうな往来のハイカー達が、みなジロジロとこちらを見ながら通り過ぎる。
すこし驚いたような顔、微笑みを浮かべた顔。
「ねぇママ、あの人たちなんか作ってるよ! ねえ、ねえってば!」
などと母親の服を引っ張りながら通り過ぎる子供もいる。
しかし私は、いままでにさんざん「コイツなにやってんだ」という目で見られる経験を積み上げてきたので、恥ずかしいだとかそういったことは感じなくってしまっているのである。というか、ふつうの人と恥ずかしいと感じるポイントがずれてしまっているようなのだ。父親のこういう態度が子供にどう影響するかは未知数だ。こう見えても私は恥ずかしがり屋の子供時代を過ごしたが、その後恥ずかしい体験を積んだ部分では不感症の鉄仮面を手に入れた。我が子達はそんな父親を見て育ち、逆に成長しながら恥ずかしさを覚えていくことになるのだろうか。
などと考えているうちに、麺がほぐれだした。ここですかさず、持参した切り餅を投入する。山で作るインスタントラーメンの侘び寂び度を増すには、なんといっても餅である。例えばチャーシューなんてものは豊かさを誇張してしまう贅沢アイテムだが、餅は違う。餅には、とにかく腹をすこしでも膨らませるにはどうすればいいか考え抜いてたどり着いたような貧乏臭さがある。実はこれ、学生時代に所属していた釣りクラブの、その中でももっとも貧乏臭かった渓流釣り愛好グループ「渓流班」が好んで取り入れていたメニュー「力ラーメン」というものなのである。筋金入りの貧乏臭いメニューなのだが、餅を入れるタイミングだけはけっこうむずかしい。早く入れると餅がふやけて麺と絡み合うし、スープにもとろみがついてしまう。遅きに失すれば餅は固いままだが、どちらかといえばまだ遅い方が救われる。火を止めるのを遅らせればいい。しかしそこは昔とった杵柄。バッチリのタイミングは逃さない。

「力ラーメン」
沈んだ餅の上で、麺がいい頃合いになってきた。粉末スープを入れてかき混ぜる。割り箸で持ち上げるとたくさんの湯気と味噌のいい香りが立った。チャルメラにするか塩ラーメンにするか迷ったが、サッポロ一番の味噌ラーメンにしておいてよかったな、とこのとき思った。
持参した椀に取り分けると、椀を手にするが早いか麺をすすり上げた子供たちはすぐに、
「うまい!」
といって笑顔を見せた。


私もすこし出遅れて麺を啜ると、まずは絡み合ったすこし濃い目に出来上がったスープの味を舌に感じた。平均的なスープなら物足りなさを感じただろうが、ふだんなら塩辛いくらいの濃度に仕上げていたのでよかった。やはり運動の後には、このくらいは味にインパクトが必要だ。もさもさと噛んでいくと、麺にはいつもより甘みが感じられた。水分不足気味の体には、腰のない麺のやわらかいのど越しもいい。すぐに胃が温まった。それはやはりラーメンなんかじゃなくて、どうしたってインスタントラーメンだった。
(2003.12.5)