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ブラッディ&ブラウニー
英語は、片言しか話せない。とにかく中学英語からひとつも進歩していない。わからない単語が出てきたら端から辞書を引き、文章全体を眺めて、なんとか意味が通じるよう考える。中学以降ずっとこれを繰り返してきたような気がする。これじゃあ、時事問題だとか流行り言葉といった、英語の「いま感覚」なんてことはまったくわからない。
英語、特に会話習得には、机上の学習じゃなくて実地訓練なんだと実感したのが、最初の海外、ニュージーランドに出かけたときだった。南島・クライストチャーチでオーストラリア在住の友人と待ち合わせて、成田からひとりで出かけたのだが、まず北島・オークランドに飛行機が遅れて到着し、乗り継ぎに失敗した。のっけから英語社会にひとりきりで放り出されたわけだが、むしろこれがよかったのかもしれない。
こっちには、待ち合わせがあるから、とにかく一刻も早くクライストチャーチまで行かなきゃという強い使命感がある。はずかしいとか、失敗したらなんてことはいってられない。結果、身振り手振り、単語の羅列だけでも最小限の意思疎通はできるという感触をつかんだ。
「あなたは、ウエリントンまで飛びなさい。そこで飛行機を乗り換えれば、クライストチャーチに一番早く着きます」
その30分後に、混雑のない飛行場を飛び立つ飛行機は、滑走路の端で管制官の指示を待ったりしないことをぼくは知った。その軽快さと、ちょっとしたピンチをひとりで切り抜け、すべてが上手くいきそうな予感にひどく興奮した。
「このゲートから、クライストチャーチ行きの飛行機に乗れますか?」
最小限ではあっても意思疎通のできる喜び。その勢いで、ウエリントンの空港で、帰りの飛行機のリコンファームも済ませた。
あとからわかったことだが、次のオークランド発クライストチャーチ行きの直行便との到着時間の差は、わずか15分程度だった。でもそれは、とにかく「一番早く」とぼくが発した英語が通じた証明であり、対応してくれた空港職員の誠意も、そこに感じられた。
ということで、ぼくが最初に触れた生きた英語は、ニュージーランド英語ということになった。ニュージーランドの英語には、よく知られたことだが、オセアニア訛りがある。「a」を「エ」と発音せずに「ア」というのである。例えば「ウエンズデイ」が「ウエンズダイ」という具合だ。しかし、そこにさえ注意すれば、その後にロスアンゼルスで耳にした英語よりはずっと聞き取りやすかったような気がする。
このほかに、ぼくがより興味を持ったのは、ニュージーランド(オセアニア?)特有らしいスラングだ。例えば「ブラッディ(Bloody)」
この単語の本来の意味は「血まみれの」「血なまぐさい」「残虐な」ということだ。このスラングは、日本語の「こん畜生!」のような使い方をするのだが、それに対応するのは「ファッキン」とか「シット」があるし、ほかの国でも一般的だ。
南島のワナカという町で雇った、釣りガイドが使っていた「ブラッディ」をぼくなりに解釈すると「えれえ!」というような感覚を表現していたような気がする。例えば「ブラッディ グッド!」は「えれえ、いいぜ!」、「ブラッディ ビッグ!」は「えれえ、でけぇ!」
もちろん、この手の言葉は「汚い言葉」「下品な言葉」とされている。特に女性の前では使ってはいけない言葉、女性が忌み嫌う言葉とされているようだった。しかし、ガイドたちは、一緒に釣りに出かけているあいだ「シット!」とか「ブラッディ!」を連発しているのだ。ふだん使い慣れた言葉を抑えるのはむずかしい。これが、例えば彼らの奥さんと、手作りの夕食を囲む席などで急に引っ込むわけがない。今日の釣りの話だとか、昔話だとか、盛り上がってくるとつい口が滑ってしまう。
「…ブラッディ…」
横に座っている奥さんが、ガイドの顔をじっと睨みつける。それに気がつくと、いい歳をしたガイドが、叱られた子供のように急にしょぼくれた顔になる。その様子を傍で見ていると、なんともおかしくてしかたがない。笑いをこらえるのが精一杯だ。
ワナカのふたりの老ガイドは、ニジマスのことは「レインボー」と呼んでいたが、ブラウンのことは「ブラウニー」といった。へぇ、と思った。ちょっといいかもしれない。で、そのあとぼくもブラウントラウトのことをブラウニーと呼んでみた。もちろん、ガイド自身がそう呼んでいるのだから、お互いの言葉のやり取りに、まったく違和感はなかった。
ハウエア湖の、かつて流れ込みだったのか、それとも増水すると流れ込みができるのか、とにかくそういう地形のちょっとした入り江で釣ったとき、岸辺のすぐ近くに大きな倒木が沈んでいて、その陰に大きな魚影が見えた。
「フィッシュ!」
竿の先で、その影を指しながらガイドが教えてくれる。
「ブラウニー?」
そう尋ねると、
「イヤッ(Yes)!」
という答えが返ってくる。
このニュージーランド以来、英語でいうときには、ぼくはブラウントラウトのことをブラウニーと呼ぶ癖がついてしまったようだった。
翌年の夏に、アメリカのイエローストーンへ出かけた。二度目の英語社会への旅行で、前回よりはすこしだけ自信と余裕があった。もちろん、レンタカーを借りるときの保険の説明なんてのはまったくわからなかったが、飲み食い、買い物程度はどうにかなった。朝食をとりに街中のカフェテリアに、ひとりで出かけたりした。
何日目だったか、ちょっと時間が空いて、やはりひとりでみやげ物を探しにウエスト・イエローストーンの町をぶらついたことがある。「ブルーリボン・フライズ」という釣り道具屋に入り、ショウウインドウの中にブラウンのピンバッジを見つけた。
「このブラウニーの、見せてください」
そういって店員を呼び、ピンバッジを手にとった。特に問題もなく気に入ったので、このブラウニーください、とぼくはいった。
そのときはじめて気がついたのだが、店員はぼくのことをギョッという顔で見ていた。まるで異星人を見るような、なんだコイツ薄気味悪いなというかんじだった。それでも、ちょっとギクシャクはしていたが、つとめてふつうに対応してくれたので、買い物を済ませることはできた。
あとから考えたのだが、店員は聞きなれない英語「ブラウニー」と、その使い方に違和感を憶えたのではないだろうか? つまり聞き慣れない母国語から、方言だとか、田舎くささといった類のことを感じたのではないだろうか。これがかえって異国的な違和感なら、ギョッとはならかったのではないか? たしかに、イエローストーンでは「ブラウニー」といういい方はしていなかったような…みんなちゃんと「ブラウントラウト」と呼んでいたような気がする。つまりこのときぼくは、日本語にするとこんな感じでいっていたのではないだろうか?
「オラァ、このいとしのブラウンちゃんがほしいだぁよ」
まあ、旅の恥は掻き捨てというし、ひと昔前のことを、いまさらはずかしいとも思わない。けれども、ちょっとした疑問は残っている。アメリカの田舎モンタナと、ニュージーランドでは、はたしてどちらの言葉がより田舎くさいのだろうか? モンタナでニュージー訛りで話すのと、ニュージーでモンタナ訛りで話すのとでは、いったいどっちがどっちをどのくらい田舎くさいと思うのだろうか? 場所がニューヨークならどうなのか? これに東洋訛りが加わったら? そのへんのセンスというのは、やはり現地に住んでみないとわからないのだろうか。
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