サイトフィッシング履歴書

 

1) 見えることの罪悪感

 「見える魚は釣れない」という言葉を知ったのはいつ頃だったのか、いまではさっぱり思い出せない。子供の頃に行った魚の見える釣り場で、鮮明に記憶に残っているのはマス釣り場である。小学生の頃、父がマス釣りに凝った時期があり、奥多摩の大丹波川や丹沢の早戸川のマス釣り場に何度か連れて行ってもらった。

 どちらも石を並べて川を四角く仕切ってあったから、その桝目の中でも流れが淀んだ部分には、じっとして動かない、まるで白昼夢を見ているようなマスが必ずいた。そういうマスの鼻先に玉ウキを移動させ、餌のイクラを届けても、ピクリとも反応が見られなかった。ははぁ、なるほど、これが見える魚は釣れないということか。そう自分なりに納得した憶えがある。

 父は、そんな淀みのマスを狙うようなことはしなかった。もっぱら強い流れに餌を振り込んでいた。まだ小学生だったせいか、波立ちの下にいるマスは、姿どころかそれらしき影さえも確認できなかった。マスが見えないということは、子供にしてみればそこにマスがいるかどうかもわからないということだった。ところが、そのあたりを移動していく目印をじっと見ていると、フッと流れに逆行したり止まったりする。すると、途端に水中に銀鱗がきらめいて魚が姿を現わす。父がマスを掛けた瞬間にはじめて気づいたとき、ひどく感動した。どこからともなくマスが現れたような気がした。まるで手品のようだった。

 ぼくは、これこそが釣りなのだと、一度そのときに確信を持ってしまったのだった。マスは…ほんとうに釣るべきマスは、淡い緑色が揺らめく流れの下の深いところで、まるでカメレオンのように川底と同化しつつ潜んでいるから、そこにうまく餌を送り込み、口にしたときの微妙な変化を見つけて釣鉤に掛ける。それこそが正当なマス釣りであり、それ以外は邪道。淀みで夢を見ているマスにちょっかい出すようなやつは、賤しい素人なのだった。
  以来、姿が見ているマスを釣ることに、ちょっとした罪悪感を憶えるようになった。

  15歳のときに、はじめてフライの道具で釣りをしたのも、早戸川のマス釣り場だった。

  このとき、わずかな時間だったが、分流の浅い流れに3匹くらいのマスを見つけて、考えてみるとごく真っ当なアップストリームのニンフフィッシング、それもサイトフィッシングを試みたのをいまでも鮮明に覚えている。直感的に、こういう釣り方もできるのではないかと思ったにちがいない。当時ルアーをやっていた影響で、とにかくフライを引っ張って誘うのが正統な釣り方に違いないと思い込んでいたのだから、なぜこういうアプローチをしたのか、いまでも不思議に思う。

 このときサイトフィッシングに使ったフライはピンクのウーリーワームで、テイルについていた3本の白いラバーがよく見えた。それでもとにかく初めてなので、まずフライの落ちた位置の見当がつかず、最初から見失うことの方が多かった。3回に1回くらい、フライを見つけることができたが、ルアーと違ってマスが大きな反応を見せることがなく、さっぱり興味がないようにしか見えなかった。

 そうこうするうちに、フライを投じたすぐあとに、3匹のうちの1匹がフッと動くことがあった。いま考えれば、おそらくその拍子にウーリーワームをくわえたにちがいないのだが、気づくことさえできなかった。はじめてマスが首を振ってフライを吐き出した動作を見たときには、さすがにマスの妙な様子に慌てた。しかし、ひょっとしてフライを食ったのかもしれないと気づいたときには、すべてが終わった後だった。結局アワセることさえできなかった。

 もし私に少しでもサイト・フィッシングの才能があったなら、マスがフライをくわえたことで「よし、これでイケる」と思ったことだろう。ところがそのときはむしろ逆だった。経験も指南役もなかったために「こんな釣り方しても、アワセることなんてできない。やっぱりルアーのように引っ張って、ゴツンとこないと釣れない」と思い込んでしまったのだった。

 これで十年は遠回りをすることになった。

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フライフィッシング中毒
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最終更新日 : 2001/05/29 .