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注:この写真は27歳のときのものです。最近フライをくわえて撮ってないもので・・・・
苦情が殺到していますが、この写真からけっして現在の私を想像しないでください。
生年月日 1958年10月
出身地 東京都目黒区
初釣行 1965年、碑文谷公園弁天池(釣り禁止)のクチボソ
初フライフィッシング釣行 1973年、早戸川国際鱒釣り場
直後からフライフィッシング中毒症状を露呈。寝ても覚めてもフライフィッシングの日々。
1977年7月、初北海道釣行。日高幌満川など。全身がシビレる。
このときの感動、開放感がその後の人生に大きく影響した。北海道に青春をかけることを決意。ところが、その後の4年間に、北海道の釣り場が荒廃していくのを見てショックを受ける。ただ釣るだけでなにもできない自分が嫌になり、磯釣り師に転向することを考える。
伊豆七島や外房釣行と平行して、その後も主に渓流の最上流部を目指して釣行した。残されている天然自然を確認して安心したかったのだが、結論としてやはりそこは守られるべき場所だと感じるにいたり、釣りではなく、癒しのための場となった。
1983年6月から、フライフィッシャー(フライ専門の「フライばか」)として完全復活。
きっかけは、中禅寺湖の6月のモンカゲロウの釣りに出会ったことだった。その後も、奥多摩の青梅〜御岳や鬼怒川の大渡橋〜佐貫堰堤、山梨県・桂川で次々とマッチング・ザ・ハッチの洗礼を受け、「マッチング・ザ・ハッチおたく」となる。
1994年。かねてから目をつけていたのだが、管理者不在で放置され、悔しい思いで見ているしかなった忍野・桂川に忍草漁協が復活すると知り、ここをベースにした釣りをライフワークとすることを決意。現在に至るが、ここへきて忍野の川辺でも急速に釣欲が萎え、癒しのためにそこに立っていると感じることが多くなった。
30歳になるまでは、フライフィッシングこそが人生のすべてだと思っていました。遅まきながら、いまはほかにもたくさん大切なことがあると知っています。
著書:「フライフィッシングの一年」(フライの雑誌社)初版1995年3月1日
「サイトフィッシングの戦術」(つり人社)初版2000年5月1日
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フライフィッシング中毒
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最終更新日 : 2007/01/01
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