これ以降は僕だけの考えが多くなります。
人それぞれあるでしょうが、通常の生活で一番多くの情報を出すテレビ。
その中からは映像、絵、音楽、声、音などが目と耳にダイレクトに飛込んできます。電源さえ入れておけば画面に集中せずとも気が付けばいろいろなことを知ることが出来ます。
しかしその中で、娯楽番組はそれぞれ同じ様に見えてしまうのです。
もちろん違いはわかりますが僕の目には全ての番組が似ているのです。 それは何故か?
それは画面を作るCGやセットの仕業か?
それは世間のニュースの仕業か?
それは連続するCMの仕業か?
それは単に生活リズム、決められた時間の仕業か?
それは番組をまとめあげる編集の仕業か?
いろいろ悩み、考えました。そしてそれは技術の仕業ではないだろうか。
全ての分野が便利さだけを求め、妙に全体が調和しすぎていると思うのです。
僕は専門家でもなんでもないので深くは知りませんが、
その調和からはみだしたものは面白くなく、無駄なものと判断され排除されている。
だれに植え付けられた教えか知りませんが、みな同じものをバランスよくカットしている様に見えます。ですから同じ面白さ、同じ批評、同じ流行が蔓延し全てが同じに見えてしまうのではないでしょうか?
その排除、カットされているものは何か?
それはハッキリ言って具体的には分かりません。でも現在僕がテレビや雑誌、マスコミから受ける印象は、無機質な清潔さです。その逆のもの、冒頭にのせた『生』を感じるものが少なくなっている感じを受けます。
『生』と聞くと処理をしていないもので
汚いものというイメージもあるでしょうが、
息吹を感じさせる『生』というものもあるのです。
現代の子供はこのテレビを見て育っていくのかと考えたりもします。
娯楽とは人の心のゆとりであり、
楽しむもので楽(らく)するものではない。
新しい技術の使い方を間違え、より商業にのせるための
便利さだけに心を奪われていては一方通行の娯楽にしかならないのです。
思想や創造したものを技術にのせなければこれから先、
あらゆる芸術が衰退に向かっていくのではないでしょうか。
僕はいいかげん、面白い奇抜さを狙った斬新もどきの
間違ったバランスのよい表現は飽きてきました。
いつの時代も無駄を排除していくことが進歩、改革でしょうが、
その時代を超えて、もう一度無駄なものとはなにか考え、
今はもっと生きた『生生しい表現』をしていきたい。
僕は今、そう自分に言い聞かせているのです。
H.13.2.27
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