Thinking 3
『シンプルイズベスト』


 僕はグラフィックデザインの勉強をかじったことから日頃、広告・宣伝に興味をもって見ております。イメージタレントの起用、イメージソング、現在を象徴するキャッチコピー、発表する時期やイベントを絡めた戦略等、ひとつの広告から大変多くの事が想像されます。しかし仕上がったポスターやらCMは、非常に単純化されています。それは当然の事で、伝えたい情報を短い時間で提供するものが広告なわけで、その手段として造り手はデザインするわけです。“シンプルイズベスト”。広告のデザインには本当に必要なことでしょう。ところで広告に密着する私達の生活にも“シンプルイズベスト”とは当てはまるのか?そう考えたことがありました。

 21世紀になった現在、私達の生活はかなりシンプル化されています。携帯電話をほとんどの人が持つようになり、パソコンの普及率が急激にあがって、情報交換が簡単になりました。家に居ながら買物や銀行の支払い等、便利な用途は様々です。しかし新聞を開けば、毎日悪いニュースに驚かされます。直接自分に関係なくても、それが関係あるかの様に心のどこかで不安になります。かなり楽観的な僕がそうなのですから、不安で、不安で、死んでしまいそうなデリケートな人は結構多くいることでしょう。

 何故不安なのか?

 10年くらい前のバブルの時代から、就職の氷河期を迎えた頃。よく個性を重視した評価が世間一般に持ち上げられていました。君は何ができる?君の得意分野はなんだ?君はこの場合どう考える?もっと個性を大事にしろ!などと新聞や雑誌でよく批評家が書いていました。僕は別にそんなものに感心はなく、好き勝手に生きていましたが、考えてみると真剣に絵を意識しはじめたのはこの頃だったと思う(やはり影響されていたのか)。それから5、6年たち、急速に情報化社会は成長しました。と、いうより情報社会になってしまいました。IT産業が盛んになり、人手が少ないところはパソコンが出来て当り前、外国語が出来て当り前なのです。世間の情報が速い分、即戦力が必要で、決して社員を育てるという時間を作らなくなりました。無駄と思える時間を徹底的に排除し、不必要になった昔の社員には出ていってもらう。リストラである。

 なんとも恐ろしいシステム、シンプル化である。アメリカの方からやってきたこの恐ろしいシステムはあっという間に日本はおろか世界を包んでしまいました。各々のデスクにはモニターが設置され、皆それと一日中にらめっこである。ちょっと昔に騒がれた個性もへったくれも有りません。超協調性である。そのうえ人々の流行の片寄りも激しく、個性的に生きているつもりの若者ばかりになってしまった。もちろん自分も含めてである。その分、人の心はシンプルにはなりきれず、より複雑化されていくのである。これは世界中の人々といってもいいでしょう。

 人には気付かないところでナイーブなところがそれぞれあるのです。身の回りの生活が次々とシンプル化されていき、それに対応すべきかどうか考える時間が少なすぎるので、しょうがなく流されていく。それの連続では、みんなの心に不完全なものが溜まってしまいます。その結果シンプルでナイーブな心が埋もれてしまい荒んでしまうと僕は思うのです。自分の絵の解説などはしたくはないのですが、僕がシルエットにこだわる理由のひとつにこれらのような人の心をシンプルに表現したいという気持ちもあるのです。

 自分が嫌だと思ったことは他人もおそらく嫌なのだし、傷付くことは傷付くのです。そのシンプルさを無視した行動は勝手であって自由ではないのです。また日常生活にはある程度の不便さが必要であり、不便さを乗切るたくましい心も人には必要だと思います。そしてマスコミの情報やテクノロジーなどの技術にすべて振り回されない思考力もこれからは更に必要になってくると思います。

 “シンプルイズベスト”と声高らかに言える心を取戻し、
人の心の中はノンデザインでなければならないと自分に言聞かせて生活しているのです。

 H13.3.9

Copyright 2009 Taro Tomori