今月お陰さまで無事に個展 " Player " を終えることが出来た。
やる気に満ちた初心に戻りたい願望もあり、
今回は表現者 =プレイヤーとして題してみた。

多くの方々に足を運んでいただき、身勝手な抽象画にも拘わらず
嬉しい言葉や批評をたくさん貰え、本当に有難い会期であった。
今回に至るまでの過去の展示や活動をいろいろ思い返すと、
いつも無闇やたらに制作しているこんな僕にも
その都度付き合って下さる貴重な方々がいることに
本当に感謝しなければならない。改めてそう感じました。

その感謝と共に此れからは本当に気を引き締めて、
もっとよく考え、もっとよく視て、先を進まなければならないと思っている。
それはこの時代に僕の様な芸術を続けていくことは
とても厳しく危機感すらあり、僕自身、自信が持てず潰れてしまいそうだからだ。

「さぁ此れからどうする…」

年齢と僅かばかりの経験を重ね、
前方の景色、その輪郭、
表面、質が以前よりは見えてきた。

不景気で政治は行き詰まりを見せる一方、社会の流れは過剰な科学や
サービス等の競争で日々加速し、薄っぺらな利便さと引換えに
人々が信じているものを雪崩れのように次々と飲み込み、
残酷に消滅させていくようにみえる。
国々のモラル、環境、生態系、人間の基礎が安定を失い、
不安でいっぱいの毎日がずっと続いている。

僕の信じる芸術、その存在も何処へいってしまうのか。
現代アートといういかにも小綺麗な言葉が此処にきて胸を締め付けている。

どこの世界でも損得勘定で動けない人間は大変苦労する。
現在の日本では特にそのように感じてしまう。

アートと呼ばれる芸術の世界は、学識、メディア、流行を頼り、
頼り頼って排他的な場所を作り続け、
幅広い考え方、捉え方に乏しく、俗に生き残るためのアートが
学閥の力で増え続け、もう手には負えない状況になってしまった。

尊い存在や美しいもの、普遍的人間性まで学問や勉強、知識だけにとどまり、
挙げ句の果てにはエンターテイメントにすり替えられ、面白いか面白くないか、
そんな陳腐な判断基準となり、心が育つ文化はとても誕生しないようにみえる。

結局、メディアによる偏った価値観が、日々懸命に働く国民の感受性を独占し、
人と人との間にゆとりある関係を作れないさもしい世の中にさせてしまったのだ。
人は皆多くの可能性を持って生まれてくる。
しかしその時代の流行に合わせた見て呉れだけともいえる大人達の社会で、
どれだけの子供の才能が消えてなくなってしまうことか。
生まれ持った素質を活かして才能を開花させる努力をする前に、
大人の顔色を伺う、利己的な子供が此れからも現代アートで活躍することだろう。
所詮お粗末な愚痴ではあるが、僕はそう思ってしまう。

「さぁ此れからどうする。」

僕の信じる芸術の場所は、すでに目には消えてなくなっている。
この絶望な中でも制作するには独自の好奇心、
そして自らの芸術、それに関する課題を更に偉大に輝かせ、考え続ける力が必要だ。
ひたすらに自ら掲げた Player となって、一挙手一投足で立ち向かうしかない。

“もう何も無い、しかし心には有る、それを見たいが為に”
そう思いを込めて個展の総括にしたいと思う。

とにかくまた、無事に個展が出来て本当に有り難かった。




平成22年 10月29日 都守太朗

『此れから』

Thinking 70